より理解が深まる前がき
筆者は20年以上の社会人生活で1回の転職、4度の休職を経て現在離職中です。
いずれもメンタル疾患要因での休職で『適応障害⇒強迫性障害⇒自律神経失調症⇒うつ』とさまざまな診断名が下されました。
転職したきっかけは、子供が産まれた辺りからワークライフバランスが崩れ始め、新卒から入社して約20年間働いていた職場を辞め転職しました。
しかし転職先でもメンタル疾患が再発し、人生4度目の休職期間中に退職。
2社目の在籍期間は1年7カ月でした。
その時に感じたのは自分一人の力では再就職は難しいという事です。
今は自身のメンタル疾患としっかり向き合い、地域の支援機関を利用して再就職に向け調整中です。
初めて次の就職先が決定していない状態での退職でしたが、それまでの経緯、実際に辞めて気づき・感じた事をこの記事では紹介させていただきます。
1.初めての休職と再燃
- 家庭を持ってから仕事のパフォーマンス低下
- 業務内容の変更に伴って初めて休職
- 業務量・環境が理由で適応障害発症
- 休職のきっかけは上司のたった一言
- 約1年半サイクルで休職と復帰の繰返し
- 家庭を重視した働き方ができず転職を決意
高校卒業後、某電子部品メーカーに就職し約10年間設計を担当していました。
そこの部署は10名程度の町工場みたいないな感じで、人が少ない分、意思疎通も比較的できており、多少人間関係のイザコザはありましたが割と風通しの良い職場でした。
その頃は『俺はここで定年まで働き続けるんだろうな』と頭のどこかで考えていて、それも悪くないと感じていました。
しかしここで人生の転機が訪れます。
上司より技術部署へ異動の打診がありました。
当時10名程度だった技術部署へ技術員として働いて欲しいとのお願いです。
ここの部署は関連部門も含めると会社の約半数が属している管轄の広い部署でした。
こう言われた時に今の部署の居心地がとても良かったのでお断りをしました。
しかしその後も2、3回異動の打診があり、「これまでの経験が活かせる」を猛プッシュされ、内心は嫌でしたが承諾し、設計から技術員へ異動になりました。
前向きな異動ではありませんでしたが、3年が過ぎた頃にはすっかり業務にも慣れ、気楽に話せる同僚もでき穏やかなワークライフだったと思います。
プライベートでも結婚、出産があり、公私ともに充実した時期でした。
仕事ぶりもそれなりに評価されており、今度は顧客との間に入って業務を行ってもらいたいと面談の時に言われました。
正直この時ものり気ではありませんでしたが、一度異動の例が自身にあったので、その時はあまり何も考えずに『家族も出来た事だしキャリアアップだ!』みたいな気持ちで了承しました。
しかしそれが今後の人生を大きく左右する決断となります。
主な顧客は海外です。
通訳はいるものの、自身にとって言葉が通じないのは先方さんの意図が汲み取れず、伝わったかな?こう思ってるのかな?の不安のループ状態でした。
また会社側は海外新規案件に積極的でしたが現場側は逆に消極的です。
その間に挟まれ顧客と会社と現場、3者の意見を取りまとめる作業には相当苦労しました。
この頃から身体にも異変が起こり始め、不眠、寝起きの悪さ、喉の違和感、業務中に足が地に着いていないようなフワフワとした感覚が慢性化していました。
そして症状が出始めてから半年程経った頃、翌日に期日を控えた資料を1週間程掛けて作成し終え、最終確認を上司に行った所
「言い忘れたてたけど資料の書式が変わったから新書式に沿った形に仕上げといて」と…
この言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になったと同時に、胸の奥で「プツン」と何かが切れた感じがしたのをはっきり覚えています。
色んな感情を押し殺して業務に没頭した反動は、ちょうど張り詰めた糸が切れるような感覚です。
その翌日以降から仕事に行けなくなり、かかりつけの診療内科を受診した結果「適応障害」と診断名が下りました。
診断書には「3ヵ月間の服薬治療、加療、休養を要する」と記載されています。
これが人生で初めての休職のきっかけです。
3ヵ月後には業務内容を調整してもらい復帰しましたが、1年半後に再発し2度目の短期休職(有給にて)。
今度は復帰の際に配置転換をしてもらいましたが、やはり1年半後に再発し3度目の短期休職。
こんな感じで約1年半サイクルで休職を繰り返していました。
3度目の休職明けは上司がとても配慮してくださり、残業なしの条件で仕事を進められていけました。
『育児と仕事のバランス』を完全に見失った私にはとても働きやすい環境でした。
しかしその上司が海外赴任となり、新しくやって来た上司と初めての面談の際に
「家庭の事情は聞いてるけど、残業できるときはして欲しい」と。
この上司を説得して『当面は家庭を優先させたい』の思いは届かないと察し転職を決意しました。
\デキる男はファッションで差をつける!/
\デキる男は一味違う!ファッションセンスで差をつけろ!/
2.転職後のミスマッチ
- <急募>の時点でハローワークなどに相談すれば良かった
- 入社初日から何ともいえない違和感を感じていた
- 日々パワハラが横行し従業員は上司の機嫌取りをする環境
- これまでにない危機感を覚え退職
転職を決意して重要視した事は以下です。
- 育児と仕事のバランスが取れる事
- 福利厚生が充実している事
- これまでの経験が活かせる事
これらを軸に転職サイトで再就職先を探していました。
特にウェイトを占めた条件が『育児と仕事のバランス』です。
転職を決意してからそう時間も掛からずに、とても興味深い企業が1社ありました。
転職サイトの内容だけでなく企業HPもありましたので、HP内容を1ヵ月位掛けてじっくり吟味して納得した上で応募しました。
応募の際にはハローワークや求人サイト経由ではなく、『直接応募可』と記載してあったので、手っ取り早く応募書類を直接企業へ郵送しました。
1点気掛かりだったのが<急募>の文言でした。
ただ募集要因が増員だったので、事業拡大に向けて急募なのかな?と、その頃は簡単受け止めていました。
書類審査、筆記試験、実技試験、面接と順調に進み、2週間程度で内定の返事が頂けました。
事前にHPでよく調べていた甲斐もあり、面接では良く調べられていると評価して頂けた場面もありました。
内定が決まったので、さっそく現職場の上司に退職したいとの旨を伝えました。
再就職先が決まっている事から、会社側も「もう腹は決まっているんだな」と了承してくださり、スムーズに引き継ぎ、そして退職する事が出来ました。
この頃は転職して『新規一転、再スタートが出来る!』と意気込み、転職先の入社日が待ち遠しかったです。
そして迎えた入社初日。
午前中に職場の説明をサラッと終え、午後には早速業務に取り掛かりました。
その時に何か言葉では言い表せない”違和感”があったのを覚えています。
中途採用者の扱いに慣れているといった感じでしょうか。
ですがせっかくコロナ禍で内定を頂けた会社だったので、気にしないようにして初日以降も業務に励んでいました。それから1ヵ月もしない内にその“違和感”の原因が分かりました。
従業員の離職率が異常に高かったのです。
私が入社して1ヵ月間で2人辞め、1人入社してきました。
その頃はたまたまかな?と思っていましたが、それ以降も退社しては中途で入社してくる人が多く、明らかに何かおかしいと感じたのは入社3ヵ月後位でした。
その頃には少ない人数ではありましたが世間話が出来る同僚もいましたので、会社について聞いてみました。
『この会社って人の出入りが多いですよね』と。
返事は『うちの会社は大体1,2年以内で辞める人が多いかな。メンタルやられて休んでる人もいるしね』
と、とても穏やかではない返事でした。
確かに上司は高圧的な人で、あまり現場には顔を出さず朝礼で見る程度です。
業務上の相談に行った時も、いつもあっさりした返事。
何より一番つらかったのは数名の従業員に対してのパワハラでした。
上司が大声で怒鳴り散らし、暴言が横行している状態です。
直接自分自身が言われる事はありませんでしたが、職場環境としては、皆がその上司の機嫌を損なわないように気を遣いながら仕事をしている感じでした。
入社以来ずっと感じていた”違和感”の根源はこれだったんだと確信したのは入社して4ヵ月目位だったと思います。
半年経った頃には試用期間も終わり正社員となりました。
戦力として本格的に業務も任され残業も多くなり、色々と仕事も覚えさせられました。
どう考えても当日中に終わらないスケジュールを、昼休憩を削って残業しながら必死に食らい付いて、何とかこなしていました。
しかしこんな働き方が長く続くわけもありません。
転職した本分であった『育児と仕事のバランス』から遠く離れた環境でした。
1年経った頃には体調が優れない日が多くなってきたので、ちょくちょく休みを取っていました。
休んだ翌日に上司にお詫びに行くのには本当に生きた心地がしませんでした。
この頃から慢性化していた倦怠感や喉の違和感などの症状を、主治医判断の下、薬を調整する事で何とかやってきましたが、ある日の上司からの一言でその張り詰めた状態も限界に達し、再度人生4度目の休職に至りました。
2ヵ月間の休職でしたが会社に戻る気力と意欲が完全になかったので、このまま療養に専念したいと退職したい旨を伝えました。
休職期間中であった為か、その場で一週間後が退職日に決まり、退職にあたっての説明や書類もスムーズに進み退職に至りました。
3.今後の生き方を考える
- 精神疾患で真に働き方を変えるきっかけを得られた
- 自分一人ではなく各支援を利用する事で情報が多く得られる
- 支援機関は互いに連携し合い就労前後にサポートを受けられる
さて再就職先が決まっていない状態での退職でしたので、一般的には無鉄砲と思われるかもしれまんね…
ですが今の自身の心身は、通院も服薬もなかった学生時代のような感覚です。
それは今後の働き方や人生に対して充分に考える時間と支援を得られたからです。
今までは「生きていくために仕事をする」といった、何かを犠牲にして働いていたような気がします。
家族のため、今後の人生のため、老後のため。
でもそれらは今の自分があって成り立つものです。
その『今の自分』をこれまで完全に見失っていたと思います。
10年以上精神疾患と闘ってきました。
しかしこれからは、自身の心に素直に耳を傾けうまく付き合っていく方向で考えています。
そして、うまく付き合う上で精神障害者手帳の取得をしました。
障害者手帳と聞いたら皆さんどう思われますか?
完全に自身の経験からの私見ですが、『これまで頑張ってきた勲章』と捉えています。
ちょっと言い過ぎですかね……(;^_^A
今は地域障害者職業センターに通いながら、無理なく長く働ける仕事を目標に、各機関と連携しながら再就職に向けて取組んでいます。
その中で、就労困難な人が利用出来る機関がたくさんある事を知りました。
以下は障害者の就労に向けての支援の説明を分かりやすく表しているイメージです。
リンク先:https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201409/2.html
さまざまな機関からなる支援チームが、障害者の就職、職場定着、職業生活の安定に向けて連携を取り合い、障害者の雇用を支援してくれます。
※各支援施設を利用するにあたり障害者手帳の有無は問いません。
今後は自分一人だけの力ではなく各支援を利用し、自分らしく働ける環境で仕事をしていきたいと思っています。
あとがき
事実、メンタル疾患で失ったものは多くあります。
しかしそれ以上に自身の実力を最大限に発揮できる環境の方が、長い目でみた場合、実り多い人生になると感じます。
他人の価値観に捉われず自分自身としっかり向き合う事が大切だと学びました。
これが私のメンタル疾患、休職、退職を経てみえた生き方です。
いかがでしたでしょうか?
もし誰かのお役に立てる記事であれば幸いに思います。
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